HOKYPOKY.BLOG

underground

アングラなカルチャーって言葉はマイナー気取りのメジャー志向という感じがしてあまり好きではないけども、インターネットのクローズ感っていうものに最近興味を持っている。興味というよりは懐古に近いのかもしれない。

岡本太郎「明日の神話」へのイタズラを実際に見てきた

Togetter – 「岡本太郎「明日の神話」に東電原発!??」

渋谷にある岡本太郎の「明日の神話」にイタズラがされていた。

元々この絵はメキシコのホテル用に製作され、ちょうど左右の下隅の部分は踊り場にかかるため欠けている。そしてその欠けている右下部分に福島原発と見て取れる絵が足されていたというわけだ。

どうせすぐ警察に撤去されるだろうと思ったがまだ渋谷にあるようだったので急いで見てきた。(現在は撤去済

これがイタズラされる前の正しい「明日の神話」

そして実際に見て、撮ってきた写真がこれ。

実際に目の当たりにすると、なんとも言えない気持ちになる。
この行為の善悪は一旦置いておく。そして「岡本太郎はきっと怒る/喜ぶ」とか「福島の人に失礼」などと当事者でもないのに意見するつもりはない。

むしろその逆で、圧倒されちゃったんだよね。(不謹慎だと罵ってもらって構わない。)

もしかしたら難しい物をみてよく分からなくなってとりあえずスゴイと感じるそれかもしれない。ただそれも悔しいので少し視点を変えて解釈してみることにする。

ある活動や作品が芸術であるか否かについて、必ずしも誰もが同意する基準があるとは限らない。表現者側では、その働きかけに自分の創造性が発揮されること、鑑賞者側ではその働きかけに何らかの作用を受けることなどが芸術が成り立つ要件とされる。
芸術 – Wikipedia

恥ずかしげもなく簡潔に言えば、アートだ。
美術館でお金を払って「コレがかの有名な〇〇」というものとは違う、まさにリアルタイムで生きているアートだった。
いつでも見れるものではないし、それでは意味を成さない。
事件性を含んだイタズラでもあるが、Banksy的な風刺画でもある。

では一旦置いておいた善悪について、もう一度考えてみる。
結論から言うと悪い事なのだと思う(あやふや)。
あやふやながらも悪い事だと言ったのは一般的なルールにおいて悪い事だからである。また、良い事でもないからだ。

少し脱線すると高校の頃、文化祭で短編映画を作ったことがある。友人の家に編集機器があったので、徹夜で作業した。ただ、文化祭の準備日はそのまま友人宅で作業していたので学校をサボった。それは夕方頃完成し、学校に行くと、サボったことで先生に叱られた。「すいませんでした」と言葉にするが、伏せた顔で友人と合わせた目はキラキラしていたのを思い出す。

ルールを破ることそれ自体は決して許されることではないが、0か1ではなく0.5や0.333があっていいのではないだろうか。
0.5や0.333といった矛盾をはっきりさせる為にルールがあるわけで、本来ルールがなかった場合、矛盾を孕んだ複雑な感情というものが普通。これは価値観の違いとバッサリと切られてしまいがちなところであるし、そしてまさに価値観は違うのだ。

話を戻すと、今回のイタズラに圧倒された自分がいたという話であり、そこには善悪の矛盾を孕んだ複雑な感情があった。
芸術とはまさに爆発だったのだ。